2024年のデータを引用すると現在、農業従事者の人口数は111.4万人。
うち65歳以上は69.9万人で農業人口の平均年齢は69.2歳。

年々農業人口は減少していき、高齢化が進んでいます。
5年前の農業人口は175.7万人。
農業従事者の平均年齢は67.1歳、と高齢化と農家減少に歯止めがかかっていません。
| 2019年 | 2020年 | 2021年 | 2022年 | 2023年 | 2024年 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 基幹的農業従事者 | 175.7万人 | 136.3万人 | 130.2万人 | 122.6万人 | 116.4万人 | 111.4万人 |
| うち女性 | 75.1万人 | 54.1万人 | 51.2万人 | 48.0万人 | 45.2万人 | 43.1万人 |
| うち65歳以上 | 114万人 | 94.9万人 | 90.5万人 | 86万人 | 82.3万人 | 79.9万人 |
| 平均年齢 | 67.1歳 | 67.8歳 | 67.9歳 | 68.4歳 | 68.7歳 | 69.2歳 |
ニュースを見ると農業従事者が減少することに対して「対策を急がねば」という声をよく聞きますが、対策としては弱いモノばかり。
本当に農家減少に歯止めをかけたいのか?
こう思う方も珍しくはないでしょう。
「農業従事者減少に対する対策」はあくまでも建前でしょう。
今回は農業従事者が減っている現状はどういったものなのか、また国はどうしたいのか、を踏まえたうえでわたしの考えを述べます。
経産省の思惑は農家数を減らすこと
農業政策において、大きな影響力を及ぼしているのは「農水省」と「経産省」です。
農水省は、農村地域活性化の役割も担うため、比較的農家減少を食い止めたい思いがあります。
しかし、経産省は「国益のために農業を発展させたい」という思想のため、ぶっちゃけ農家数などどうでもいいのです。
スマート農業、IoT、AIなどを施策として生産能力を拡大することに注力してきましたが、これは農家数などどうでも良いというあらわれです。
むしろ農家を減らしたいと思っているでしょう。

零細農家が土地を運用するより、大規模農家が効率よく運用したほうが、より安く良いモノができるからです。
「農業従事者が減る=(イコール)経済成長」と定義される背景
農業は「はじめて人間がした仕事」と言われています。
動物の肉を食べるしかなかった時代は、猟りに行き、1週間分の食料を確保していたとか。
しかし、保存が効かないのが肉の弱点。

ある程度保存が効く「野菜」が人間の食として登場したときに「蓄財」の概念が生まれたそうです。
肉だけしかない時代は、食べきれないほど働く(狩猟する)意味がありませんでした。保存が効かないのだから。
一方、野菜は一生懸命作って備蓄しておけます。
こうして毎日長時間働く人が増えていきました。
やがてつくるモノは食べ物だけに留まらず、布をつくる職人があらわれ、履き物をつくる職人があらわれ物々交換する文化が生まれました。
こうして経済がつくられていったわけです。
人間が生命を維持する上でもっとも重要なのは「食べ物」でしょう。
その生命維持装置でもある食べ物を国民全員に分け与えられるまで生産できるようになったからこそ、他の仕事をできる人が増えました。
これが「農業人口が減る=(イコール)経済発展」と定義されている背景です。

逆に新興国などは、農業従事者の割合が高い傾向にあります。
経済を司る経産省が「農家減少対策」に本気になる訳がありません。
目指している世界が「経済発展」なのですから。
高度経済成長期ではない現在は前提が変化している
ここからが本題ですが、「農家が減少すると経済が成長する」とされていることに対するわたしの所感は以下です。
「いや、無駄な仕事を生み出してるだけじゃね?」
高度経済成長期における農業離れは、まぎれもなく経済成長につながっていました。
冷蔵庫が発明されて生活が快適になれば、テレビが生まれて娯楽が充実するなど、世の中の需要を捉えた画期的なモノが次々と登場し、人々の生活は豊かになっていきました。
しかし今も農業離れが経済成長につながっているか、と言うと答えは「No!」です。
世の中は便利になり、作業スピードや生産性が向上された一方で、わたしたちの生活における時間配分は何も変わっていません。
「労働時間が1日4時間になったか?」と聞かれると、なっていませんよね。
「週休4日制になったか?」ときかれると、なっていませんよね。
便利になり、時短や省力化された分、無駄な仕事が生まれただけです。
本来、人の看護をするために働いている看護師が、いつの間にか書類を作成することに追われていたり、テレビCMで有名人を起用し、視聴者に対して自分に魅力がないのかもと思わせて必要のない物品を売ったり、と本来の需要に関係のないところで、作業が生まれていきました。
詳しくはデイビッド・グレーバー氏の著書「ブルシットジョブ」をご覧ください。
タイトルを直訳すると「クソどうでもいい仕事」です。
過激なタイトルである一方、中身は良書でした。

書籍「bullshit jobs(ブルシットジョブ)」の詳細はこちら
印象に残っている内容を引用すると、世の中から「必要」とされている仕事ほど、薄給もしくは報酬を得難い仕組みになっていると示されています。
必要とされている仕事とは、人を直接助けるような看護師、モノの移動を代行するトラック運転手、モノをつくるエンジニアなどが挙げられますが、それらはいずれも「人の役に立っている喜びを感じているのだから、お金まで稼げたらつじつまが合わないよね。別の精神的に苦痛を味わう仕事で資金調達してよ。」といった人類の卑屈な考えから、このような仕組みになっていると定義されていました。

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合理化されていく世の中に対するわたしの考え
モノをつくるだけが仕事ではありませんが、便利になった現代においてお金を払えばさまざまなモノが買えるようになりました。
ゆえに、誰もモノを作ろうと(面倒なこと)はしなくなるでしょう。
モノづくりのノウハウはプロ(作り手)だけに集約されていきます。
生産、分配、消費の中の「生産」部分が、一般人からどんどん抜け落ちるようになるでしょう。
わたし自身は、モノをつくれることは「自信」になり、「楽しさ」ひいては「生きがい」を感じることにつながると思っています。(もともとはみんな農家だったわけなので)
労働とは本来、人にとって新たな価値を生む行為であって、お金を手に入れるためのモノではありません。
供給する側も、受け取る側も、幸せになることが前提にあります。
効率化や合理化をもとめた先が現状である以上、今後は少し違った視点、すなわち個人が豊かになるための行動や活動が重要になってくるのではないでしょうか。
「やりたくないことだけど、お金のために働いている」という方は世の中にたくさんおられますが、果たしてそれで一生を終えていいのか?
豊かになってきた現代において、果たして経済成長は必要なのか?
こういったことを考えつつ、日々の生活を意義あるモノにしていきたいものです。

「無駄」と思われることにこそ「楽しみ」あり。
忙しい毎日の中だからこそ、足を止めて考えたいものですね。
