※本記事は、15年勤めた会社を脱サラして農家を目指すことを決めたサラリーマンが、休日に(アルバイトや研修生として)お世話になっている農家さんとの会話のなかで「印象に残っている言葉」を取り上げたモノです。
何気ない会話のなかでも「とある言葉が残っている」といった経験はありませんか?
親・友人・先生・恋人・先輩・師匠など相手がそのつもりでなくても、自分自身にとっては「戒め」としたり「参考」としたりする言葉はあるのではないでしょうか。

わたし自身は本業とはまったく畑違いの「農業」という仕事をさせていただいていることもあって、先輩農家の方から頂戴する「言葉」や「ノウハウ」が新鮮であり、心に残っている内容がたくさんあります。
自身の視野を広げるモノもあれば、考え方が柔軟になるようなモノもあるため、アウトプットを兼ね、読者様にも共有しようと思い本記事の執筆に至りました。
農業従事者として地位やポジションを確立されている方は、何をどのように考えているのか。
はたまた人生において、何が重要なのか、どんな角度で物事を捉えているのか。

哲学的な観点からも、ご高覧ください。
今回は、年商約4億円のねぎ農家さん(農業法人)のお父さん(御年80歳の会長)の「印象に残っている言葉」を紹介いたします。
「ワシは運が良かっただけ」の言葉の主

まず年商4億円のねぎ農家さんの概要について軽く説明します。
圃場の総面積は約20ha(約200,000㎡)。従業員数はパートさんを含めると40名。農機もたくさん揃っており、肥料や資材などが山積みしてあるなど、京都の中でも屈指の規模の農業法人と言えるでしょう。
言葉の主でもある「お父さん(御年80歳)」は、すでに社長の座を退いており、息子さん(御年50歳)に継承されています。
ただし出荷作業員として毎日勤務されているため、作業の合間に従業員の方やわたしともお話する機会があります。

朝誰よりも早く出てきて機械をの状態を確認され、待機中にはYouTubeを視聴されているなど、真面目な部分と面白い部分が融合したお父さんです。
そこでよく耳にしていたのが「ワシは運が良かっただけ」という言葉でした。
「ワシは運が良かっただけ」の概要

「ワシは運がよかっただけ」
お父さんが発する言葉でもっとも良く耳にする言葉です。

農地や設備がたくさんあることも、ここまで規模を大きくできたことも、決して「自分の力」的な発言をされることはありません。
なんなら自分のことを「ワシはカスや」とも良くおっしゃっていますw
お父さんは父母を早期に亡くしたため、妹を養うために四苦八苦されていたそうです。
人を雇うのはおろか、「自身が食べていくのに精いっぱいだった。」ともおっしゃっていました。

「学もなかったため、知らないことは全部足を運んで専門家に教えてもらった。」ともおっしゃってました。
もちろん町のなかでも、面倒くさい役をやらされた時もあれば、数えきれないくらい失敗したこともあったそうです。
「そんな状態でもこうして食えるようになったのは運が良かっただけ。助けてくれる奴もおったし、波に乗らせてもらえる機会ももらえた。」とおっしゃっていました。

「何をやろうとも結局は”運”で決まる。”運”があるかないかで人生は変わる。」という言葉が印象に残っています。
話を受けて感じたこと

お話を伺う限り、このお父さんは昔、結構やんちゃ坊主だったそうです。
それでも話しかければ、いつも嬉しそうに迎えていただけます。
人当たりも良く、決して不義理はしない方だっただろうと容易に想像できました。
確かに「運」は必要な要素かもしれません。

しかし裏を返せば「運をつかめるまで積み上げたモノがあった」とも取れます。
“能動的“に行動する人に転がってくる「運の数」は、何もしない人と比較するまでもないでしょう。
ファーストリテイリング代表取締役会長でもある柳井正さんの提唱されている「ビジネスは1勝9敗でOK」という言葉をそのまま引用するのであれば、10回打席に立って1回当たるだけでも大成功です。

お父さんの場合は運が良かったのではなく、運をつかんだのでしょう。
普段フザけた冗談ばかりを言うお父さんですが、成功者の大半は「多く」を語りません。
その言葉が口をついたときに、あらためて“お父さんが経営者であること”を再認識できました。
結び

「運が良かっただけ」と言葉にしてしまうと、淡泊な表現になるかもしれませんが、これほど中身が詰まった言葉は他に見当たらないのではないでしょうか。
背景があれば、言葉の「重み」も変わってくるものですね。

わたし自身も「運が良かっただけ」と言えるだけ、行動をしていきたいと感じました。
そんな姿のほうが魅力的に映るでしょうし、そんな人間でありたいと思います。
