
この記事は、とある会社員が農業知識・経験ゼロから新規就農を目指すため、勤め先に退職の意を伝えた一部始終を記録したモノです。
退職をするときに、多くの方が頭を悩ませるのが「退職の意」を伝える行為。
エン転職のデータを引用すると、退職の意を会社に伝える一番の悩みは「伝えるタイミング」が堂々の一位。

退職経験が豊富な方を除けば、少なからず「伝えるタイミング」は頭を悩ませたり、ストレスを感じたりするのではないでしょうか。

2025年4月現在、わたし自身は脱サラして就農する(農家になる)ことを前提に活動しており、退職の意を伝えるタイミングは6月上旬予定にしていました。(退職時期は2025年12月末予定)
しかし、とある会社の事情を受けて4月に敢行。
行末は置いておき、伝えた相手(上司)からは「早めに伝えてくれたことに感謝する」とリアクションをいただきました。ひとまず第一段階はスムーズに進行できそうだと安堵しています。

そこで今回は、退職を決めたけど「いつ辞めることを伝えようか」と迷っている方の参考になればと思い、わたしのリアル体験を記しました。
事情は違えど参考になる部分もあると思いますので、退職を決めた方や退職を考えている方はご覧ください。
これまでの経緯(前提)
わたしは現在、会社員として働いておりますが、退職後は現在もお世話になっている個人農家さんのもとで研修を受ける予定です。
研修期間は2年間で、その間は就農準備資金という補助金(年間最大150万円)を受給する予定です。
現職はモノづくりの工場で金型製作に従事

2025年5月現在わたしは、モノづくりの工場で生産プロセス構築の一端を担っています。

在職15年目で、部下は5人。(いずれも年上で、正直やりにくいですw)
事業内容は車載や端末などに使われる電子部材の製造販売。
わたしの業務はその製品を製造するためのプロセスを構築することです。具体的にいうと、大量生産に必要な「金型」を製作しています。
10年間加工係として金型のパーツを作り、次に組立係として生産までのプロセスを他部署と連携しながら構築してきました。現在は加工から組立を繋ぐ役割も担っています。
部品精度は1/1000ミリ単位で製作するなど神経を使いますし、組立業務は立ち上げまでに設備担当や開発の方などさまざまな人と関わるため、「幅広い知識」や「経験」、「コミュニケーション能力」などがもとめられる仕事です。

“工場勤務”と聞いて多くの方がイメージされるような単純ライン作業ではありません。
退職しようとしている理由

自身の仕事には、それなりに「誇り」と「自負」があります。

自己啓発として出場してきたモノづくりの大会では、複数回の入賞経験があり、他拠点の方にも一目を置かれていました。(自分で言うなw)
社内で表彰されることもあり、仕事においてもある程度の裁量権を与えられるなど、それなりに信用もいただいていました。
それでも辞めようと思っている理由は3つあります。
【理由1】もともと独立志向
わたし自身は以前より、自身の手で世の中に直接貢献できる仕組みをつくりたいと思っていました。
会社に属しながらも様々な副業に挑戦したり、FPや簿記の取得するなど、ビジネスに必要なスキルは計画的に修得してきました。

会社員としての安定感には魅力を感じる一方で、収入のアッパーが決まっている点や、業務や勤務地を自身で選択できない点は、納得感を得難いシステムであるように感じています。
また、父親が個人事業主であることも、独立志向を助長する要因だったのかもしれません。
【理由2】一次産業に未来を感じるも”兼業農家”では厳しいと判断
わたし自身、農業界のことはズブのど素人ですが、農業は、世の中から厳しい現実を突きつけられているように見えていました。
- 農業が厳しいと感じる一面
- ・自身で商品の値段を決められる場面が少ない
(市場のセリかJA出荷が王道)
・作物の生育環境を整えにくく収穫量が安定しない
(特に近年の夏は猛暑が続く)
・農家の”平均所得”は150万円と低所得の傾向
(兼業農家が数字を押し下げている訳ですが)
・補助金の絞り込みが実施される可能性が高い
(政府の財源確保の槍玉にあがりそう)
・大規模農家との格差が進行する
(資本力に隔たりがあり、零細農家は大規模農家に集約されそう)
・海外輸入品に比べて割高
(関税に守られている側面があり、撤廃されたらどうなることやら)
もちろん農業人口が年々減っていることや、高齢化が進んでいる(農家の平均年齢は約68歳である)こと、年々自給率が落ちていることなどを考えると、今から参入しておくことには意義があると感じました。
国際的に環境問題が取り上げられていることや、国力の低下を防ぎたい国の意図なども考えると、政府としては放っておけないのも事実。

農業に対する国策の優先順位は、今後も高い状態で維持されると思います。
ただし、中途半端にやって上手くできるほど、農家は甘くないでしょう。
わたし自身は現在、農業法人と個人農家さんのもとで、週末や不定期で修業させていただいているのですが、どちらの農家さんも覚悟的なニュアンスのことをよくおっしゃってます。

「兼業農家」という言葉があるように、どちらにも足を置いておくことはリスク分散になります。しかし裏を返せば、すべてが”中途半端”になるということ。
だから、いずれは農業にどっぷりと浸かる必要があると感じていました。
【理由3】会社の動向に不安がある
2020年に起きたコロナ問題。それより少し前から勤め先の収支が悪化してきていました。
人件費を縮小をするために、早期退職(退職金増やすから早よ辞めて~という)制度を発動。

早期退職者が続出したかと思えば、左遷で同僚や先輩も多数他拠点へ異動させられました。
あげく事業の一部(というかほとんど)を国外へ売却される事態も発生。
わたしの所属する課は入社当時80人以上がいましたが、今は30人程度と規模が大幅に縮小しています。
37歳のわたしが課内最年少であるように、未来を担っていくであろう若手などを切り離し、技術者も減少、設備投資もなし。

「今さえ乗り切れれば」という刹那主義的な空気が渦巻いていました。
幹部たちも雇われ社員の典型で、経営危機であるにもかかわらずどこか他人事のような態度や発言が散見されるなど、主体性は皆無。
衰退事業(良くて現状維持)の条件が揃っていました。

ちなみに、わたし自身は職場の「人間関係」においては不満がありません。
周囲に恵まれていたことに対しては、感謝の思いと、何か勿体ないことをしようとしているのではないか、と複雑な思いが交錯しています。
退職時期は12月末・宣言は2025年6月頃を予定

冒頭にも述べましたとおり、退職時期は2025年12月末を、退職宣言は同年6月を予定しておりました。
こちらも主な理由は4つあります。
【理由1】引継ぎ期間として必要
わたしの場合、有給が3ヶ月分溜まっており、有給消化期間を考えると実質9月末までしか稼働できません。
残ったメンバーにある程度引継ぎをおこなうにしても、3~4ヶ月はかかると想定していました。

もちろん引継ぎ期間は業務的な処理の話であり、技術的なノウハウは不可能(数年単位かかる)。ある程度継承は諦めていただくことを想定しています。
ちなみに、引継ぎが難航するであろう部分は、以前から手順書やマニュアルなどを地道に作ってきました。(我ながら周到ですw)
おそらくスムーズな引継ぎができ、わたしが退職するダメージは最小限に抑えられると思います。
【理由2】税務申告上の都合
日本の場合、法人経営者でもない限りは基本的に1~12月の収入をもとに確定申告(もしくは年末調整)を行うシステムです。
わたしは、給与所得以外の所得もあるため、毎年確定申告していました。

所得の調整や想定をするうえで、都合の良い時期が年末ということです。
また就農にあたって就農準備資金という補助金も受給予定です。
- 就農準備金
- 市区町村または都道府県より交付される新規就農者向けの補助金制度。
最大年間150万円(2年間)が支給されます。
(交付条件)
・就農予定時に49歳以下であること
・研修機関にて年間1,200h以上の研修を受けていること
・世帯の年間所得が600万円以下であること
詳細はこちら
注意すべきは「世帯所得600万円以下」の部分。

わたしには妻がいるため、中途半端に1月以降も稼いでしまうと、世帯の年間所得が600万円を超えてしまい、就農準備金を受け取れません。
こういった背景も12月末で退職する理由のひとつです。
【理由3】賞与を頂戴したい
わたしの勤め先の賞与時期は”6月”と”12月”。
ゲスい話ですが、しっかりと賞与は頂戴したうえで退職したいと考えております。

退職後は失業給付(※正式名は基本手当)を受給できるとはいえ、基本的に無収入。
少しでも蓄えが欲しいのが、今のわたしの心情です。
【理由4】宣言するのは時期尚早と考えていた
概ね今後の方針は「農業に挑戦する」で固まっていました。
しかしそれでも妻がいることや、妻が子どもを授かりたい思いを持っていることから、「経済的に本当にやっていけるのだろうか」という不安がよぎっていました。
「見通しが立つかどうか判断できるまで、今の”週末農業”状態を維持したほうがいいのではないか?」
こう何度も考えていたように、どこか腑に落とせない自分も居たのです。
退職意向を伝える時期を繰り上げた理由

6月に退職宣言しようとしていましたが、4月末に敢行した理由を紹介します。
なぜ退職宣言時期を繰り上げたのかというと、所属する部署が大きな影響を受ける”新たな事業方針”が発表されたからです。
事業方針発表にともなう人員削減
端的に言うと、以下のようなロジックです。
- これまで社内で作ってきたパーツの7割くらいを外注化しまっせ
- その分、加工人員余るでしょ?
- 人減らしちゃうぜ!固定費削減バンザイ

削減メンバーの中には、わたしの担当する班員も含まれていました。(しかもまだ本人には伝えていないとのこと)
その班員は部下とはいえわたしの先輩であり、入社以降大変お世話になってきました。
加工の実力者でもあるため、会社の戦力的にも痛手です。

自身がお世話になってきた先輩だけに、心も苦しい。そして「居なくなったらこの事業場は終わる…」こう思い、わたしは決心しました。
「もうすでに決まっているかもしれない人事を動かそう」と。
退職意向を示した一部始終
帰宅して妻に相談し、現在の思い、会社の人事、計画を前倒ししようとしていることなど、すべてを話しました。
妻からは驚くほどあっさりとした”快諾”と”エール”が返ってきました。
「あれ?不安はないの?」と聞くと、「もう決めたんでしょ?楽しみやん!」と少し前まで不安そうな顔をしていた様子とは違います。

カラ元気かもしれませんが、背中を押してくれた妻に感謝しています。
上司である課長に対しての会話内容

わたしの場合、直属の上司は係長でしたが、付き合いの長い課長に対してお話ししました。
面談場所は「加工室」の一角。無人で機械音だけがする無機質な空間で、外からは丸見えです。(どこで話しとんねんw)
まず最初に「先輩が異動する件は、もう変えられないのか?」を確認しました。
課長から返ってきた回答は、「本部も動いているため変えられない」とのことで、異動先(他拠点)とやり取りすることも決まってました。
そのあとに課長は「課や部の異動だけだと思っていたんだけ、まさか他拠点とはな…」とポツリ。
課長自身も、先輩が他拠点へ異動させられることに対して、想定外だったようです。
わたしは「もう一度うえに掛け合ってもらえませんか?」と課長に問いました。
すこし間を置いたあとにもう一言。
「わたしが退職するからです。」
すこし課長の表情がひきつりましたが、わたしは続けます。
「ぶっちゃけ、今の自分より(異動予定の)先輩のほうが戦力的に大事だと思います。モノづくりができる人間がどんどん居なくなっている今、その技術やノウハウを失うのはあまりにリスキーです。」と。
課長は表情を崩さずに「退職はいつ頃を予定している?」と確認してきました。
「今年いっぱい(12月末)予定です。」と回答すると、課長はすこし諦めたような表情でポツリ。
「若い人間がいつまでも居てくれると思っているからこの会社はこうなるねん」と…
そして”今後何をするのか?”についても触れられましたので、わたしは現在の心境も活動(農家でお世話になっている件)も、本当は6月に退職の意を示そうとしていたこともすべて話しました。
課長は納得したように頷きながら「いいな、俺も実は今、コーヒーショップができないか?と毎日コーヒーの勉強をしている。」と少し空気を和らげる発言をいただけました。
コロナ過よりいろいろ考えてきたこと、継承活動の資料として自身の培ってきたノウハウやマニュアルをまとめてきたことなどもお話ししました。
約20分ほどそんな話をして、最後に課長から「早めに言ってくれてありがとう。部長にだけ共有させてもらっていいか?」と確認されましたので、「もちろんです。そのつもりでお伝えしましたので。」と回答。
事の経過を見守りたいと思います。
退職意向を伝えたあとの心境

わたしが職場を退職するのは実に16年ぶり。
当時の心境は詳しくは覚えていないため、新鮮味があって不思議な感覚です。
主な心境は以下のとおり。
早めに伝えてよかった
正直、迷った点もありましたが、早めに伝えてよかったと思っています。

人事が変わる可能性も残っているし、変わらなかったとしても、事業場として対策(継承活動や追加の人事など)が取りやすくなるでしょう。
課長からも「早めに言ってくれてありがとう」と感謝いただいたように、自身の行動に関して後悔はありません。
ただし次のような気持ちもあります。
引くに引けなくなったことでプレッシャーが増大
会社に籍を置いておけば、お世話になっている農業法人や個人農家さんに何かあったり、自身との関係性が悪くなれば、自身の生活は担保しつつ次の活動ができます。
しかし、退路を断ったことで心の拠り所はなくなりました。

わかってはいたものの、いざ直面すると仕事を失うプレッシャーは少々キツい…
会社という看板に守られてきたことに感謝
これまで組織再編や人事異動、資本譲渡など、それなりの事件はありましたが、自身が受けてもおかしくないダメージを会社が受けてくれていたと思うと「感謝」の気持ちが湧きあがりました。
会社に対して不平不満が出るのはごく普通のことかもしれませんが、当たり前のように会社の資産や権威性を使わせていただいていることは凄いことだったのだなと感じています。

自分自身もいずれ、誰かを守れるような存在でありたいと思う出来事でした。
まとめ

早めに退職の意を伝えるほうが会社にとっては、対策が取りやすく、圧倒的に楽になるでしょう。
その一方で個人的には、引くに引けなくなったプレッシャーを感じています。
これからも「週末農業」は継続しつつ、会社の「通常業務」と「引継ぎ業務」をしなくてはなりません。
退職手続きや、退職後の戦略(失業給付の受給の仕方や事業計画・保険の見直し)などやることや考えることは山積みです。
また会社という看板に守られてきたことや、人間関係のストレスがなかったことには感謝しかありません。
「なにか勿体ないことをしているのでは?」という感情が入り混じっていますが、「人生二度なし」という言葉を胸に次のステップへと進みたいと思います。

ちなみに会社を辞めることを考えている方は、引継ぎ業務を少しでも楽にできるよう、普段から「自身の業務内容」や「業務ノウハウ」などをまとめておくことをおすすめします。
やることがたくさんある中、引継ぎ業務を簡略化できるうえに、今後の活動先(転職先や独立後の客先など)に”名刺代わり”として利用できるでしょう。
何をやっていいのかわからないなら、まずは自身の活動をまとめてみるのがおすすめです。
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